製作年月日 平成20年4月7日
| フィラデルフィア実験 |
皆さんは、第2次大戦のさなかにアメリカ海軍が実施したと言われるフィラデルフィア実験という言葉を聴いたことがありますか?
実際に軍艦が消えたとか消えないとかという議論はさておいて、この実験のことが最初に世の中に知られるのは、1955年にモリス・K・ジェサップが”UFOの真実The Case for UFO”という本を出版したあと、1957年の春に彼が海軍リサーチセンターに所属するという数人の人物の訪問を受けたことから始まります。
彼らは、来訪の目的は軍の命令ではなくて自分達の個人の意思で来たと断りましたが、リサーチセンターに匿名で送られてきたジェサップ著”UFOの真実”が原因だったのです。
彼らによるとその本の3箇所にメモが貼り付けてあり、そのメモには、海軍が”船を見えなくするプロジェクト”を実施中に、UFOが飛行する秘密-時空を捻じ曲げての移動を偶然に発見したということが書かれていたのです。
海軍からの来訪者達は、そのメモを書いた人間を探し出すために、ジェサップに心当たりはないか聞きにきたのでした。
この時の海軍の人間達との話によって、ジェサップは自分が何かとてつもなく大きな事に巻き込まれていることを知り、それ以後その内容の解明に全力を投入し始めたのでした。
そしてそれから4年後の1959年には、ジェサップはUFOと海軍の実験に関して、軍部が大衆に隠していることに関するたくさんの衝撃的な証拠を手に入れたのでした。
ジェサップは手に入れた証拠を基に、発見した事実をフロリダ州選出の上院議員や何人かの興味を示した人達に話すために日時をセットして、フロリダの自宅を出発してワシントンD・Cに向けて出発したのですが、約束の日時に彼は現れなかったのです。
やがてマイアミ郊外の高速道路に入るところで彼の車が発見され、その車のマフラーにはパイプが取り付けられていて、そのパイプが運転席まで伸びていて、車中には死体となったジェサップがみつかりました。警察は死因を一酸化中毒として、自殺と断定したのですが、一緒にあるはずの沢山の書類や証拠物件の類がすべてなくなっていたのでした。
しかしジェサップはワシントンD・Cに出かける前に、科学者であり以前からUFOに関しての情報を交換しあっていた友人のイヴァン・T・サンダーソンという人物に、海軍に送られた本につけてあったメモの写しを含めて多くの情報を渡していたのです。
そしてサンダーソンは仲間と共にその資料を基にして、UFOと海軍の実験ーすなわち場所に因んでフィラデルフィア実験と呼ばれるようになった実験について、1967年に"招かれざる訪問者Uninvited
Visitor"と題した本を出版したのでした。
やがて1979年になるとウイリアム・ムーアとチャールス・ベルリッツ共著で”フィラデルフィア実験:見えなくする計画”と題する本が出版されるに及んで、この海軍の秘密実験が公に知られるようになったのでした。
しかしこの本がフィラデルフィア実験に関しての最初の本だった事は功績に残るのですが、調査が不十分で内容的に説明が足りず、そして著者達の憶測や想像が多く書かれていたので、却って実験の信憑性に欠けてしまったのです。
その上1984年に”フィラデルフィア実験”という題名のSFの恋愛映画が封切りされるに及んで、この実験に関係したと名乗り出た数人の人達が全て謎の死を遂げているという事実があるにもかかわらず、この海軍の秘密実験は実在しなかったというのが通り相場になってしまい、その後出版された多くの本も実験に関しては興味本位な内容が多く、懐疑的な姿勢が大勢を占めるようになりました。
しかし1989年になって、1940年代の実験に加わり、その後の 1970年代、1980年代のフォローアップの作業にも従事したという3人の人達が現れたのです。
この3人のインタビューの模様を収めたDVDが市場に出ています。
彼らにインタービューしたのはビル・ネルlと言い、証言した3人の名前はアル・ビーレック、プレストン・ニコラス、ダンカン・キャメロンの3人です。
このインタビューの現場に立ち会った電気技師は、その時3人が話した内容に衝撃を受けて、その後数日間というもの不眠症に陥ったという話ですが、ビルが自分のウエブサイトに載せているそのインタビューの内容と、アル・ビーレックの話を要訳しますのでフィラデルフィア実験というものが実際に起きたものかどうか、読者諸兄姉が自分で判断してください。
ビルは長年UFO研究家として全米各地で講演を行っていて、時々講演先でフィラデルフィア実験について話してくれる人達に出会ったのですが、一人を除いて全員が自分の名前の出ることを拒否したのです。
その一人というのはフィル・シュナイダーといって、政府の闇プロジェクトに参加していた地質学者で、彼の父親がフィラデルフィア実験に関わった医者の一員だったのでした。
フィルは1995年に30回ほど、聴衆を前にして政府の闇プロジェクトについて話していて、これから全米各地を回るという矢先の1996年の1月に、首の周りのゴムの管が巻きつけられて自宅のソファーに横たわっていて、死後数日してから友人によって発見されたのでした。
警察の発表では死因は窒息で自殺と断定しましたが、彼は両手の何本かの指を焼失していて、既に離婚していた元妻によると フィルはゴム管を強く締めることは自分ひとりではできないとのことなのです。
ちなみに彼女自身の主張がウエブサイトに入っていますが、これを読むとフィルが自殺でないことは明確で、その上検死官の解剖した遺体はフィルとは違う人の遺体のようです。
このフィル・シュナイダーの経験談を書くと膨大な数のページになることは確実ですが、フィラデルフィア実験以上の驚愕な内容ですので、いずれ皆様に紹介する予定でいますので楽しみにしていてください。
フィラデルフィア実験
1938年頃からニュージャージ州にあるプリンストン大学で、アインシュタインを含む数人の科学者達が、、強力な磁場を利用して物体を動かしたり操作する事や、時間旅行や時間転移等の各種の物理学上の研究に取り組んでいました。
この研究は純粋に理論上だけでまったく現実には実行されなかったのでした。
やがて第2次世界大戦がはじまり、アメリカ海軍は大西洋において、アメリカの艦船の船体に使われている磁石に反応するドイツのユーボートと新しい機雷によって、アメリカから大西洋を横断して欧州に向かう船舶のほぼ半数が撃沈されたので、この問題を解決することが軍の急務になりました。
海軍は艦船を非磁力化してユーボートと機雷に探知されなくすることを思いついて、アインシュタインを始めとするプリンストン大学の科学者達にその早急な研究を依頼したのです。
過去において海軍は港に停泊中の艦船の磁場を中和するこに成功していましたが、この作業は非常に時間のかかることが難点で、戦争時に利用できるような代物ではなかったのでした。 科学者達は他に色々と試しましたが、どれもうまく行かなかったのでした。
ある時海軍の係官が大学を訪れて科学者達を集めて話しているときに、2〜3人の若い科学者達が一石二鳥の名案を思いついたのです。
それは彼らが理論上で考えてきた時間転移と、強力な磁場を使っての物体操作を、海軍の予算を使って現実に実験することでした。
海軍の依頼によってアインシュタインが第2次大戦中におこなった研究は、現在においても機密事項ですが、アインシュタインは原爆のような攻撃的な破壊兵器は人類の滅亡に直結していると確信していて、むしろ強力な防御兵器の開発に取り組んでいたと考えられるのです。
プリンストン大学においてアインシュタインの考えに賛同している科学者達が参加して、このプロジェクトは始まりましたが、彼らは海軍の係官に、レーダーは勿論のこと水中探知機でも補足できず、人間の目にも見えなくなるようになると説明したのでした。
しかし彼らは、この働きを実現するために彼らが応用しようとしている具体的なテクノロジーすなわち時空移動については、言及を避けました。
ちなみにアインシュタインは1925年から1927年にかけて、ドイツの科学雑誌に”統一場理論Unified Field"という論文を発表していて、この電気と重力と磁力を応用する理論を天才数学者で科学者でもあったジョン・ノイマンの協力を得てこの実験の基本理論とし、実際の磁場発生装置の作製には実験の初代ディレクターだった稀代の発明家二コラ・テスラが中心になって開始されました。
しかしテスラはこの実験は人類の利益に何ら貢献しないという理由で、完成途中の1942年に実験から降りてしまったので、その後はジョン・ノイマンが引き継いで完成にこぎつけました。
ところでこのたびインタビューを承諾した3人の一人アル・ビーレックはハーバード大学を卒業後海軍に職を得て、フィラデルフィア実験の遂行のためにジョン・ノイマンの下で磁場発生装置の完成を手伝ったのでした。
プロジェクトの実行サイトには、プリンストンから近くて警備が固いという理由からフィラデルフィアの海軍基地が選ばれ、実験船にはまだ任務についていなくて、後日USSエルドリッジ号と名付けられた新造艦が選ばれました。
初期の実験は1943年に基地内の埠頭で行われました。
強力な電磁界が発生しましたが、船内の電気器具には全く損傷がなくて、船は一瞬にして視界から消えました。
そして船はレーダーからも姿が消えたのですが副作用として、海軍は期待していなかったことで科学者達が期待していた事、すなわち時空移動が起きたのです。
船体が視界から消えた時に実験を見ていた人達は、船体はそこに存在しているが肉眼で見えないだけだと思っていたのですが、実際には船体はバージニア州のノーフォーク沖の海上に移動していたのです。 そして船外に設置された磁場発生装置のスイッチが切られた時に、船が元の位置にも戻ってきて肉眼で見えるようになったのです。
船の甲板には犬や猫の小型の動物が籠に入れられて置かれていて、船が消える直前と直後に船体の周りに発生した緑色の輝やきによって、その中の何匹かの動物が焼死したり消滅していましたが、使われた磁場の強弱は調整してより安全にできると科学者達は海軍の係官に答えたので、動物達の死は無視されてしまい、実験の推進が決定され、1944年には海上での乗組員を乗船させた実験が強行されました。
エルドリッジ号にはアル・ビーレックと弟のエド・ダンカンも含めて30数名の乗組員が乗船し、エルドリッジと同じ装置を積み込んだ他の船が、ユーボートと他の敵の船舶に探知されないように願いながらレーダーやソナーで警戒して、その周囲を取り囲んでいました。
しかし万が一探知されたとしても、出力を最大限まであげることを許可されていたのは、エルドリッジ号だけでした。
多くの観察者が見守る中で、実験はニュージャージの沖合いで開始されました。
全員が見守る中で、エルドリッジ号はその磁場発生装置を最大出力まであげました。
出力が上がるに連れて以前と同じように、不思議な緑色の輝きが船体の周囲に現れ、船体は予定通りレーダーからは消えたのですが、磁場発生装置に奇妙な光が飛び始め、甲板の上では次々に異常なことが起き始めました。
多くの乗組員が方向感覚を失い始め、何人かは緑の輝きで火傷を負い、濃い緑の霧によって殆ど何も見えなくなり、危険を感じてアルと弟のエドは海に逃げようとして甲板から身を投げ出したのですが、どこまでも海は無くそのまま暫く落下が続いたあと、気がつくと何処かの基地の柵の中にいて、すぐに警備兵が来て近くの建物の中に連れていかれたのです。
エレベーターに乗せられて地下に降りて、そこにいた年配の人物がアル達にジョン・ノイマンだと自己紹介したのです。
ほんの1時間ほど前までアル達はノイマンと一緒にいたのですから、その年配の人物がジョン・ノイマンで、彼らがいるのはフィラデルフィアではなくニューヨーク州のモントークで、時代は1983年になっていることを理解するまでには、暫く時間が必要でした。
1944年のニュージャージー州沖合いでの実験で姿を消してから、エルドリッジ号は1983年のニューヨーク州ロングアイランド沖合いの海上に姿を現していたのです。
1940年代には夢だった各種の機械や装置をアル達に見せてくれたノイマンは、すぐに船に戻って磁場発生装置を破壊するようにアル達に指示を与えたのでした。
アル達が磁場発生装置を破壊したと同時に、船体は元のニュージャージ沖に姿を現したのですが、消えてから再び姿を現すまで4時間程経過しました。
エルドリッジの船体は、この実験と同時に発生したある種の時間移動を起こす穴に引き込まれ、またロングアイランド東端に位置するモントークポイントの表向きには使用されていない政府の基地において、フェニックスプロジェクト別名モントークプロジェクトと呼ばれるフィラデルフィア実験のフォローアップとして、磁場が人間の心理に及ぼす影響を探るプロジェクトを行っていたので、それに引きつられて時空移動がおきたのです。
アル達が船に戻ってみると甲板上では大変な事が起きていて、若い水兵が心臓麻痺で死亡していたり、乗組員の中には肉体が船の甲板や鋼鉄の船体に溶け込んだ者もいたり、行方不明の者いたのでした。
戻ってきた時に、UFOと思われる不思議な物体が船体の上空に見られたのです。
この時人類は始めて、宇宙人が時空を自由に駆け抜ける方法を垣間見た可能性は非常にたかいのですが、いかんせん1944年の昔では、人類はそのような強力なエネルギーをコントロールするテクノロジーもコンピューターも持っていなかったのです。
実験の結果として乗組員の3分の1は、船体に使われている木の甲板や鋼鉄の造作に肉体の一部が溶け込んで死んでいたので、エルドリッジの船体の大部分はこの死体を隠すために厚い布で覆われて、その晩にフィラデルフィアの海軍基地に戻ったのでした。
この時の海上の実験で行方不明になった者が、時々時空をさまようということが起きたようで、その模様を1944年のフィラデルフィア・エンクワイアラー紙が伝えています。
その記事によると、海軍の基地の近くの水兵や基地の作業員が出入りするバーで、実験で行方不明だった3人の水兵がテーブル席の後ろの壁から姿を見せて、しばらくすると肉体が壁に入り込んでいって、彼らの姿が消えてしまったのです。。
それを目撃した周りの者達が、気も狂わんばかりに驚いたのです。
海軍は1945年までにエルドリッジの生存者全員を、海軍病院の精神病棟に隔離収容してしまい、そこで何かの方法で彼らの記憶を消したようで、その後の彼らの消息は不明になっています。
海軍の任務についてからのエルドリッジ号の乗組員が誰一人としてこの実験を目撃していないのは、この実験が行われたのはエルドリッジ号が任務につく前で、実験に参加した乗組員はそのために特別に用意した人員だったからなのです。
エルドリッジの航海日誌を見ても、この秘密実験の事に関する事は何も書かれていませんから、何の役にも立ちませんが、奇妙なことに約50ページに及ぶその航海日誌のページが無くなっていることが報道されています。
アインシュタインがこの実験に関係した可能性について言えば、海軍基地の現場に彼が現れたことはありませんが、彼の立場は実験における儀礼上のもので、海軍は彼からアイデアを貰っていただけのようです。
その一方で他の科学者や技師達は海軍から全権委任をされていて、プロジェクトを成功させるために必要なものは何でも取得できたようです。
海軍はこの海上での実験において不満の点もあったのですが、このプロジェクトが彼らに磁場をコントロールすれば物体の時空移動が可能なることを教えただけでなく、磁場が人間の精神に影響をあたえることを見せてくれたことを、充分に認識したのでした。
この時の海上実験で生存した何人かの水兵が精神異常をきたしたことから、この効果を味方の兵隊の恐怖感をなくすことに使ったり、敵方の兵士を降参させることが出来ないかと海軍の上層部は考えて、これが後のモントークプロジェクトに繋がっていったのです。
モントークプロジェクトが行われたのは、ナチスの攻撃からニューヨークを守るために砲台を置いていたニューヨーク州の東端モントークの海岸地方で、この地域は大戦後のソ連との冷戦の時に、飛行してきたソ連の爆撃機やミサイルからニューヨークを守るために、レーダー基地に変更されたていたのでした。
ここに設置してあった巨大なレーダーから、人間の精神に影響を与える周波数を発生させ
た結果、基地の周囲の町の犯罪率が急激に上がったと言われています。

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